山口百恵さんを考える

現役大学生が山口百恵さんについて考えます。

今の20代にとって1970年代とは

活躍した時期が限定的なので、どのような時代背景の時に流行ったかについて気になります。なので、まず初めに、山口百恵が活躍した1970年代を考えて見たいと思います。この文を書いている令和元年から数えると1970年代は4、50年前。私達20代にとっては、生まれるはるか前であり、当時を実感はできません。

インターネットで当時の出来事を調べてみると、

1970年の日本はアジアで初めての万国博覧会となる大阪万博を開催したことから始まります。当時の史上最大規模の万国博覧会(大阪万博)を開くことで、1954年から続く日本の高度経済成長の勢いを世界に見せつけました。今でいう東南アジアや少し前の中国のようなイケイケ状態だったことが想像できます。ちなみに2025年に大阪では55年ぶりに万博が開かれます。最近、大阪に行くと、どこに行っても外国人観光客だらけ。そして、いたる所で工事。今の大阪もイケイケ状態だからこそ、万博が誘致できたのではないでしょうか。 さらに、1972年には日本改造論を唱える田中角栄が首相になり、新しい日本になる気運が高まります。新潟出身、高等小学校卒業で当時史上最年少の総理大臣の誕生です。対外的には1972年の沖縄返還、1975年の天皇陛下初訪米、1978年には日中平和友好条約を結び、第二次世界大戦の本当の終結とも言われました。国際関係改善や経済発展によって金銭的余裕ができたからか、海外旅行者数も年々増加します。1972年に100万人だった旅行者は1979年には400万人になり 、海外がどんどん身近になります。そのため新しい文化を受け入れやすくなり、ジーンズなど外国のファッションが流行しました。 しかし、光もあれば闇もあります。1973年に起きた石油ショックの影響で、日本の高度経済成長はストップして、1974年には戦後初のマイナス成長を記録します。1976年にはロッキード事件、1977年には芸能界マリファナ汚染事件が発生するなど、政界も芸能界も闇が浮き彫りになりました。そして、トドメを刺すように1979年には第二次石油ショックが起きます。1970年以前の若者は安保闘争全共闘大学紛争などに代表される学生運動を通して不満を政府にぶつけていましたが、1970年代になると暴走族や不良が現れて社会に不満をぶつけるようになりました。 これらから、1970年代は新しい価値観が受け入れられるようになった面と高度経済成長の勢いが止まった重い空気や社会への不満が混じった面といった光と陰を持つ時代と言えるのではないでしょうか。

【1970年代がイメージできる動画】

https://youtu.be/g9KncNbm-YA

社会の出来事を振り返った後は、一般人の生活を考えてみます。

一般人の生活においては、1970年代初頭には三種の神器である冷蔵庫、洗濯機、カラーテレビがほとんどの家庭にあるまでに普及しました。その結果、女性の家事に対する時間や労働量が軽減されて、女性の社会進出が進みました。また、第一次石油ショックによる失業率の増加によって、家計を助けるために働く女性も増加しました。女性の社会進出や共働きが増えたことにより、出生率は第二次ベビーブーム(1971-74)をピークに減り続け 、婚姻数も1972年をピークに減り続けました。仕事と子育てを両立しずらいところは、今日も抱える課題ですね。中流家庭が増えて周りに物が溢れるようになってからは、物質的な満足よりも精神的な満足を求めるようになりました。たくさん働いて家電を買って満足する、女性は結婚して子供を産んで家庭を守るという流れが当たり前ではなくなったのです。 1970年代は何をもって幸せと感じるか、物質的な満足よりも精神的な充実を求めるようになった成熟した時代と言われました。

これらをまとめとめるとこんな感じです。

私たちが生きる現在も、精神的な充実は課題です。私たちにとっての発散方法はSNSですよね。言いたいことがあったらツイッターに投稿、私生活の充実をインスタで自慢したり嫉妬したり。それがどんどん発展して理想像や代弁者としてYoutuberやインスタグラマーが出現して若者に支持されています。

それでは1970年代はどこで発散していたかというと、社会に対してです。よく親から、昔の学校は荒れていたという話を聞きませんか?その荒れ具合が今のTL(ツイッターのタイムライン)なのです。そして理想像や代弁者をどこに求めるか?それがテレビなのです。

【今日のまとめ】

・1970年代は光と陰を持っている

・女性の社会進出による変化

・精神的充実を求めるようになった

次回は、テレビについて考える予定です。