山口百恵さんを考える

現役大学生が山口百恵さんについて考えます。

どうしてテレビが台頭したのか

私たちの世代にとってテレビとはどんな存在ですか? 家族の誰かが見たい番組や録画していたものを見て、興味がない人は部屋でそれぞれYouTubeで好きな動画を見る。スマホがない時代は、みんなでテレビを見ることが多かったなぁ。こんな感じだと思います。 つまり、スマホの普及により、動画コンテンツが持つ影響力がテレビとスマホで分散化して、従って視聴できるコンテンツも多様化しています。 では1970年代はどうだったでしょうか? こちらのサイトを参考にしてください。

https://www.teikokushoin.co.jp/statistics/history_civics/index13.html

1960年代初頭まで、テレビは裕福な家の象徴でした。それが、1964年の東京オリンピックを家庭で見たい。これのために、テレビはどんどん普及していき、1960年代の終わりには9割を超えます。この頃に、白黒テレビにかわる新しい発明がされます。カラーテレビです。カラーテレビは1960年代後半に登場したものの、1973年には普及率が白黒テレビと逆転しました。 つまり、テレビを持つことに満足していた時代から性能を重視する時代になりました。カラーになれば、物が鮮明に見えるようになるし、私達が実際に見ている世界がカラーですから、よりテレビの世界と現実世界が近づくことになります。そのため、次のステップとして、視聴者はテレビは見るだけではなく関与するようになります。

その代表例が日本テレビのオーディション番組「スター誕生!」でありTBSの音楽番組「ザ・ベストテン」です。1970年代初頭のテレビ業界は、渡辺プロダクションが覇権を握り、その影響力は凄ましいものでした。1971年に、新しく台頭したいプロダクション会社とテレビ発のスターを出現させたい日本テレビの思惑が一致してオーディション番組「スター誕生!」が始まります。

【スター誕生!】

https://youtu.be/37qHIrXwet4

ー素人がスター・アイドルへと成長して いく過程を視聴者が一緒に楽しみ「テレビ」によってスター・アイドルが作られるようになっ たー(引用: テレビが構築する社会的出来事・ 音楽番組・アイドルの集合的記憶 慶應義塾大学)

素人を選ぶ基準は、歌の上手さや顔の良し悪しではなく、伸び代のありそうな子を選ばれました。初代チャンピオンは森昌子。中学生の山口百恵は、同い年の森昌子がテレビで活躍する姿に憧れて、同級生と一緒にスター誕生!に応募します。結果は、2位。ホリプロにスカウトされて晴れてデビューすることになります。 ここで考えたいのが、ファンはアイドルの何に興味があるかです。いつの時代もアイドルファンが望んでいるもの。それは成長ストーリーです。だから、美貌や技術力ではなく、伸び代が基準になりました。一般人が自ら応募するところから始まり、いくつかの選考を突破してスカウトされる。この時点で、アイドルとしての成長ストーリーは始まっているのです。

もう一つ重要な番組である「ザ・ベストテン」は1978年に始まったTBSの音楽番組です。

ザ・ベストテン

https://youtu.be/FM6nLhoQCjI

レコード売上、有線放送リクエスト、ラジオリクエスト、はがきリクエストを独自の比率で厳格に点数化して、上位ベストテンに入った歌手だけが出演して歌える画期的な番組でした。初回放送には国民的人気歌手だった山口百恵が11位と12位で曲が分散して出演できず、4位の中島みゆきは出演を拒否しました。視聴率や番組編成だけに頼らないリアルなランキングが評判になり人気番組となります。視聴者の応援によって歌手がテレビに出られるようになる。ファンがスターを応援することが形となってはっきりわかることで、ファンによるスターへの熱狂度は高まりました。

この時代は、まだテレビが一家に一台の時代です。さらに冒頭でも述べたように、今でいうスマホなどがなかったため、家で見られる映像媒体はほぼほぼテレビオンリーです。つまり、今よりもテレビが人々に与える影響力の強さがうかがえます。家族全員が同じ情報をテレビを通して得る。つまり、家族の誰かが番組をつけていれば、自分が興味がなくても情報だけは頭にインプットされていくので、テレビスター=国民的スターに直結しやすかったといえます。

【今日のまとめ】

1970年代はテレビと視聴者の距離が近づき、国民的テレビスターが生まれやすかった時代

次回は、デビューした曲について考えます。