山口百恵さんを考える

現役大学生が山口百恵さんについて考えます。

2曲目青い果実

「青い果実」

1973/9/1発売

週間オリコンランキング9位

作詞:千家和也

作曲:都倉俊一

https://youtu.be/EKG5AAH1ABs

「青い果実」は山口百恵が初めてヒットした曲です。前奏がほぼなく、いきなり「あなたが望むならわたし何をされてもいいわ」と始まる特徴的な歌です。1stシングル「としごろ」の王道アイドル路線から青い性路線へと方針を転換しました。「青い性路線」とは10代半ばの未熟な女の子が歌う性をテーマにした曲のことです。代表的なのは「青い果実」「禁じられた遊び」「ひと夏の経験」が挙げられます。これらの曲は「あなたが望むなら私何をされてもいいわ(青い果実)」「あなたとだったら何でも耐える(禁じられた遊び)」「あなたに女の子の1番大切なものをあげるわ(ひと夏の経験)」という性を連想させるような歌詞が並びます。アイドルが性のことについて語ることはタブーとされており、世間に衝撃と話題性を提供することに成功しました。しかし、この路線は未熟な少女に性的な歌詞を歌わせることで多くのクレームを受け、特に「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」には女性蔑視の歌詞だと非難されました。1970年代は時代背景で述べたように、女性の社会進出が進んだ時代なので、特にこのような内容に敏感になっている人は一定数いました。山口百恵は自叙伝の「蒼い時」において、「当時は歌謡界全体がかわいこちゃんブームと称されていた頃で、流行っている歌といえば「天使」や「夢」や「花」がテーマになっているものばかり」と語っています。当時、山口百恵のライバルであった桜田淳子が発表した曲が「天使も夢みる」「天使の初恋」「花物語」「花占い」「天使のくちびる」であったことから、この流行っている歌とは桜田淳子の曲を指していることがわかります。桜田淳子をはじめとする「かわいこちゃん」路線が、当時のアイドルの王道でした。つまり、アイドルには明るい雰囲気、笑顔、男の理想の女の子であり続けることが求められていたのです。

さらに、メロディも暗いイメージをもつニ短調です。一般的にアイドルは明るいイメージを与えたいので「としごろ」のように長調を使うことが多いので、短調の曲はアイドルでは珍しいといえます。

【歌詞】 http://j-lyric.net/artist/a0013c2/l001bb9.html

【わたしの人物像】

あなたが望むなら何をされてもいい、いけない娘だと噂されてもいい、側にいれば誰も怖くない、何も欲しくない→若い恋愛至上過激主義者

【状況】

恋をしている

【キーワード】

きれいな泪、恥ずかしそう、初めて秘密を打ち明ける→未熟さ、男が喜びそうな言葉を散りばめている

=アイドルは理想の彼女 =疑似恋愛対象

まとめると、男にものすごく尽くしたいと思っている、恋愛至上主義の女の子の恋心の歌詞です。 作詞を男性が担当していることもあり、基本的に男性が喜びそうなフレーズが散りばめられています。 この曲は、一気にオリコン9位までヒットさせることに成功し、この後の曲もしばらくは青い性路線が主体となっていきます。

【今日のまとめ】

・「青い果実」は最初のヒット曲

・「青い性路線」への方針転換

・男性にとって理想の彼女像

1曲目としごろ

突然ですが、皆さん! 今日が何の日かご存知でしょうか?5月21日は山口百恵のデビュー日です。 今から46年前の1973年5月21日に1stシングル「としごろ」が発表されました。

「としごろ」

1973/5/21発売

週間オリコンランキング37位

作詞:千家和也

作曲:都倉俊一

【参考動画】 https://youtu.be/_QrgLg6Y8d8

変ロ長調の明るい曲調です。一般的にアイドルは、明るさや初々しさが売りだと思うので、従来のアイドルソングといえます。

キャッチフレーズである「人にめざめる14才」から、この歌の題名「としごろ」の主人公は当時の山口百恵と同じ14才の女の子が主人公であることがわかります。

歌い手のアイドルと主人公を同化させることを私小説路線と呼びます。

山口百恵のプロデューサーの酒井政利は1971年にデビューした南沙織私小説路線の「17才」という曲で成功させました。この歌も山口百恵の「としごろ」同様、当時の南沙織と同じ17才の少女が主人公です。その成功を受けて山口百恵私小説路線を基本にプロデュースされました。

南沙織「17才」 https://youtu.be/vDDuU7nccjw

南沙織がリズムをメインにしたのに対して山口百恵は歌詞に重点を置くことになりました。そのため、今後は歌詞を中心に考えていきたいと思います。

【歌詞】 http://m.kget.jp/lyric.php?song=11247

【歌の舞台】

潮風、ふりそそぐ陽ざし→天気が良い日の海辺

【わたしの人物像】

訳もなく泣き出す、あなたに全てを見せるのはちょっぴり怖くて恥ずかしい、手のひらに泪をためて→内気なか弱い少女

【彼(あなた)】

陽に焼けた、乱れてるあなたの髪を→やんちゃんな陽キャ

【状況】

彼(あなた)と「してみたいことを列挙」しているだけで行動に移せていない。 「感じるの大人を」と倒置法で表現していることから、「大人」を強調したいことがわかる。ここでの大人とは「恋」をすることである。

まとめると

内気なか弱い(14才の)少女が、天気が良い海辺で、陽キャラ男に恋心を抱き、不安でいっぱいだけど行動に移そうとしている

このような内容です。

いかにも、可愛らしいアイドルが歌いそうな幸せそうな歌詞であることがわかります。アイドルアイドルって感じですね。

しかし、この「としごろ」は週間オリコンチャートで37位とあまり売れませんでした。アイドルが、年相応の少女が主人公の明るい曲を歌ったのに、どうして売れなかったのでしょうか。個人的にはすごく良い歌だと思います。

その謎を今後も考えていきます。

【今日のまとめ】

山口百恵の1stシングル「としごろ」は明るくて幸せそうな曲だったが、売れなかった。

どうしてテレビが台頭したのか

私たちの世代にとってテレビとはどんな存在ですか? 家族の誰かが見たい番組や録画していたものを見て、興味がない人は部屋でそれぞれYouTubeで好きな動画を見る。スマホがない時代は、みんなでテレビを見ることが多かったなぁ。こんな感じだと思います。 つまり、スマホの普及により、動画コンテンツが持つ影響力がテレビとスマホで分散化して、従って視聴できるコンテンツも多様化しています。 では1970年代はどうだったでしょうか? こちらのサイトを参考にしてください。

https://www.teikokushoin.co.jp/statistics/history_civics/index13.html

1960年代初頭まで、テレビは裕福な家の象徴でした。それが、1964年の東京オリンピックを家庭で見たい。これのために、テレビはどんどん普及していき、1960年代の終わりには9割を超えます。この頃に、白黒テレビにかわる新しい発明がされます。カラーテレビです。カラーテレビは1960年代後半に登場したものの、1973年には普及率が白黒テレビと逆転しました。 つまり、テレビを持つことに満足していた時代から性能を重視する時代になりました。カラーになれば、物が鮮明に見えるようになるし、私達が実際に見ている世界がカラーですから、よりテレビの世界と現実世界が近づくことになります。そのため、次のステップとして、視聴者はテレビは見るだけではなく関与するようになります。

その代表例が日本テレビのオーディション番組「スター誕生!」でありTBSの音楽番組「ザ・ベストテン」です。1970年代初頭のテレビ業界は、渡辺プロダクションが覇権を握り、その影響力は凄ましいものでした。1971年に、新しく台頭したいプロダクション会社とテレビ発のスターを出現させたい日本テレビの思惑が一致してオーディション番組「スター誕生!」が始まります。

【スター誕生!】

https://youtu.be/37qHIrXwet4

ー素人がスター・アイドルへと成長して いく過程を視聴者が一緒に楽しみ「テレビ」によってスター・アイドルが作られるようになっ たー(引用: テレビが構築する社会的出来事・ 音楽番組・アイドルの集合的記憶 慶應義塾大学)

素人を選ぶ基準は、歌の上手さや顔の良し悪しではなく、伸び代のありそうな子を選ばれました。初代チャンピオンは森昌子。中学生の山口百恵は、同い年の森昌子がテレビで活躍する姿に憧れて、同級生と一緒にスター誕生!に応募します。結果は、2位。ホリプロにスカウトされて晴れてデビューすることになります。 ここで考えたいのが、ファンはアイドルの何に興味があるかです。いつの時代もアイドルファンが望んでいるもの。それは成長ストーリーです。だから、美貌や技術力ではなく、伸び代が基準になりました。一般人が自ら応募するところから始まり、いくつかの選考を突破してスカウトされる。この時点で、アイドルとしての成長ストーリーは始まっているのです。

もう一つ重要な番組である「ザ・ベストテン」は1978年に始まったTBSの音楽番組です。

ザ・ベストテン

https://youtu.be/FM6nLhoQCjI

レコード売上、有線放送リクエスト、ラジオリクエスト、はがきリクエストを独自の比率で厳格に点数化して、上位ベストテンに入った歌手だけが出演して歌える画期的な番組でした。初回放送には国民的人気歌手だった山口百恵が11位と12位で曲が分散して出演できず、4位の中島みゆきは出演を拒否しました。視聴率や番組編成だけに頼らないリアルなランキングが評判になり人気番組となります。視聴者の応援によって歌手がテレビに出られるようになる。ファンがスターを応援することが形となってはっきりわかることで、ファンによるスターへの熱狂度は高まりました。

この時代は、まだテレビが一家に一台の時代です。さらに冒頭でも述べたように、今でいうスマホなどがなかったため、家で見られる映像媒体はほぼほぼテレビオンリーです。つまり、今よりもテレビが人々に与える影響力の強さがうかがえます。家族全員が同じ情報をテレビを通して得る。つまり、家族の誰かが番組をつけていれば、自分が興味がなくても情報だけは頭にインプットされていくので、テレビスター=国民的スターに直結しやすかったといえます。

【今日のまとめ】

1970年代はテレビと視聴者の距離が近づき、国民的テレビスターが生まれやすかった時代

次回は、デビューした曲について考えます。

今の20代にとって1970年代とは

活躍した時期が限定的なので、どのような時代背景の時に流行ったかについて気になります。なので、まず初めに、山口百恵が活躍した1970年代を考えて見たいと思います。この文を書いている令和元年から数えると1970年代は4、50年前。私達20代にとっては、生まれるはるか前であり、当時を実感はできません。

インターネットで当時の出来事を調べてみると、

1970年の日本はアジアで初めての万国博覧会となる大阪万博を開催したことから始まります。当時の史上最大規模の万国博覧会(大阪万博)を開くことで、1954年から続く日本の高度経済成長の勢いを世界に見せつけました。今でいう東南アジアや少し前の中国のようなイケイケ状態だったことが想像できます。ちなみに2025年に大阪では55年ぶりに万博が開かれます。最近、大阪に行くと、どこに行っても外国人観光客だらけ。そして、いたる所で工事。今の大阪もイケイケ状態だからこそ、万博が誘致できたのではないでしょうか。 さらに、1972年には日本改造論を唱える田中角栄が首相になり、新しい日本になる気運が高まります。新潟出身、高等小学校卒業で当時史上最年少の総理大臣の誕生です。対外的には1972年の沖縄返還、1975年の天皇陛下初訪米、1978年には日中平和友好条約を結び、第二次世界大戦の本当の終結とも言われました。国際関係改善や経済発展によって金銭的余裕ができたからか、海外旅行者数も年々増加します。1972年に100万人だった旅行者は1979年には400万人になり 、海外がどんどん身近になります。そのため新しい文化を受け入れやすくなり、ジーンズなど外国のファッションが流行しました。 しかし、光もあれば闇もあります。1973年に起きた石油ショックの影響で、日本の高度経済成長はストップして、1974年には戦後初のマイナス成長を記録します。1976年にはロッキード事件、1977年には芸能界マリファナ汚染事件が発生するなど、政界も芸能界も闇が浮き彫りになりました。そして、トドメを刺すように1979年には第二次石油ショックが起きます。1970年以前の若者は安保闘争全共闘大学紛争などに代表される学生運動を通して不満を政府にぶつけていましたが、1970年代になると暴走族や不良が現れて社会に不満をぶつけるようになりました。 これらから、1970年代は新しい価値観が受け入れられるようになった面と高度経済成長の勢いが止まった重い空気や社会への不満が混じった面といった光と陰を持つ時代と言えるのではないでしょうか。

【1970年代がイメージできる動画】

https://youtu.be/g9KncNbm-YA

社会の出来事を振り返った後は、一般人の生活を考えてみます。

一般人の生活においては、1970年代初頭には三種の神器である冷蔵庫、洗濯機、カラーテレビがほとんどの家庭にあるまでに普及しました。その結果、女性の家事に対する時間や労働量が軽減されて、女性の社会進出が進みました。また、第一次石油ショックによる失業率の増加によって、家計を助けるために働く女性も増加しました。女性の社会進出や共働きが増えたことにより、出生率は第二次ベビーブーム(1971-74)をピークに減り続け 、婚姻数も1972年をピークに減り続けました。仕事と子育てを両立しずらいところは、今日も抱える課題ですね。中流家庭が増えて周りに物が溢れるようになってからは、物質的な満足よりも精神的な満足を求めるようになりました。たくさん働いて家電を買って満足する、女性は結婚して子供を産んで家庭を守るという流れが当たり前ではなくなったのです。 1970年代は何をもって幸せと感じるか、物質的な満足よりも精神的な充実を求めるようになった成熟した時代と言われました。

これらをまとめとめるとこんな感じです。

私たちが生きる現在も、精神的な充実は課題です。私たちにとっての発散方法はSNSですよね。言いたいことがあったらツイッターに投稿、私生活の充実をインスタで自慢したり嫉妬したり。それがどんどん発展して理想像や代弁者としてYoutuberやインスタグラマーが出現して若者に支持されています。

それでは1970年代はどこで発散していたかというと、社会に対してです。よく親から、昔の学校は荒れていたという話を聞きませんか?その荒れ具合が今のTL(ツイッターのタイムライン)なのです。そして理想像や代弁者をどこに求めるか?それがテレビなのです。

【今日のまとめ】

・1970年代は光と陰を持っている

・女性の社会進出による変化

・精神的充実を求めるようになった

次回は、テレビについて考える予定です。

なぜ私は山口百恵が好きなのだろう

私は現役の大学生です。

自己紹介の時に「好きなアイドルは山口百恵さんです」と言うと、大抵の人は驚きます。

「古過ぎだろ!」

「お前、何歳だよ!」

「変わってるね!」

でも、やっぱり好きなんです。

あの大人びた遠い存在…

歌手、ドラマ、映画、どれをとっても一流なところ…

挙げたらきりがありません。

 

ちなみに「アイドル」とは

デジタル大辞泉小学館)によると

1 偶像。
2 崇拝される人や物。
3 あこがれの的。熱狂的なファンをもつ人。「アイドル歌手」

という意味を持っています。

 

私にとって山口百恵さんは3ですね。

なんか憧れを抱いています。「スゲー」「カッコいい」「最高ー」こんな感じです。

なんかやっぱり好きなんです。

 

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どうしてここまで魅力的なのか、若者の独断と偏見で考えていきたいと思います。